価値判断が有効なのは自戒のみ

野暮で田舎者のおいらが来ましたよ。とでも云うところだろうか。


「善意」「悪意」「野暮」「田舎者」「自分は何もかも分かっている」etc. どんなに言葉を変えようが、結局のところ価値判断でしかないのである。無論、価値判断を反省的に自己に向けることは有効である。


しかし、それを他者に向けてしまうのは、自己正当化でしかない。
自己正当化した行動に対する批判において、価値判断による言説を行うのは単に矛盾しているのである。それは価値競争でしかない。可能性を閉じるのは、他者の価値感の認否ではなく、この自己正当化なのだ。


あえて自己正当化をするのであれば、都会に住んだ田舎者であるより、殺伐とした荒野に一人立つ者でありたい。
それが虚無主義者の心意気である。