誰の意思による教育か?

なんか雑記ばかり書いてるなぁw

びっくりしたよもう… - good2nd

「日の丸・君が代」訴訟東京地裁判決に関する続き。
この訴訟自体に対する感想は「どっちもどっち」なのだが、形式的には教育委員会に分があるかと思う。

だから式典での君が代斉唱の強制が、そういう制限として(憲法や教基法に照らして)マトモかどうかってことで、もちろん僕にはマトモとは思えません。が、これまでの裁判を見ると、今後の裁判では「いやマトモだよ」という判決が出る可能性はかなりあると思います。それから、マトモだと言う側の説得的な議論も読んでみたいとも思います。

そもそも、教育基本法の「不当な支配の排除」とは国家権力に対してのことであり、そのために地方自治に任せた教育委員会制度がある。故に、教育委員会の通達は「不当な支配」にはあたらない。
全く逆に、「不当な支配」を排し「国民全体に対し直接に責任を負う」ためのシステムが教育委員会制度なのである。つまり、教育委員会の通達に背くことは、国民全体への責任を放棄することになる。形式的には。

国民全体の意思に従わないのであれば、それはもう教育基本法に定める「教育」ではない。
今の教育委員会が国民全体の意思を代行しているか、と云えば否だと思うが、それはまた別問題である。


ところで、

「自由と責任がセット」「権利と義務がセット」という観念って、別に有史以来ずっとあったわけじゃないだろうと思うし、だったらどこかで発生したんだろうな、それはどこだろうって疑問です。

「自由」という概念自体がそんなに古いものじゃないです。