正義は正義であるが故に正しい。

同じ様なことを既に書いた気がするが、まぁいいか。

正しくないことを「正しい」と云うのは正しくない。正義であるのならそれは正しいのだ。

誰かが「正しい」と云うことを批判するのなら、「"正しい"かもしれないけど、正しくないよね」などと云うのは意味不明。批判ではなく詩か何かだろう。批判として云うべきは「正しくない」である。

同様に、他人の「正義」に対して問うべきは「それは果たして正義か?」である。


テクノロジー : 日経電子版

記事の主張には同意するが、その形式が駄目である。
ネットメディアを含めメディアによる「私刑」を批判する言説であるが、この記事自体が批判対象と同じ形式を有している。無限後退、或いはロジカルタイプの混乱。

記事では「正義」と云う言葉が批判的にしか語られていない。無論、括弧に入れられてはいるが、括弧を外した正義を語らなければこの言説自体が括弧付きの「正義」に回収されてしまう。


"正義"は「固有名」である。"正義"を説明するには「正しい義」としか云いようがない。故に、括弧を外した正義を語る方法は、指示による「それは正義だ(ではない)」しかないのである。

私刑は正義に反する。それが「私刑」だと云うのなら、当然、正義では有り得ない。

「あらゆる正義がぶつかり合う。」のではなく、正義を「正しさ」の元に置かないが故に正義が失われ、「正義」がぶつかり合うのである。


正にこの記事の様に括弧付きの「正義」しか語られないために、「正義」のコメントによりブログが「炎上」し、「正義」の私刑が行われる。

必要なのは「正義」を批判することではなく、その括弧を外して語ることなのだ。