神に対する上から目線

相対化と云う作業は「対象を絶対視しない」のではなく、「視点を絶対視しない」と云うことに尽きる。

というのは、別にメタ理論でも相対主義でもないのだ。
これは、「お前らのモノサシなんて知るか!おれはこれからもおれのモノサシでやっていくんだ!」という、単なる「科学のモノサシ」の拒絶なわけである。

幻影随想: 科学というモノサシ

この考察は私も正しいと思う。


「私の中では、神による創造論と進化論は同列です。」と云うのは、例えば、「私より身長が低い奴は皆"チビ"だ」と云っているのと同じで、自分の目線を絶対視しているだけのことである。


神に対する上から目線ってのも凄まじいものだが。