「表現の自由」の論理階梯

これもまた論理階梯の混乱の様に思える。やはりこれは認識に内在した問題なのだろうか。


http://yondance.blog25.fc2.com/blog-entry-1540.html

「ブログによる引用は頂けない」と云った趣旨の主張がどうしようもない所まできている。
無論、個人的な価値観の表明が不味いわけではないが、それをもって他を批判した以上、その価値観自体が批判対象となることは免れないだろう。


さて、「表現の自由」と云った場合の「表現」は括弧に入っている。つまり「表現」の価値は問われない。どのような表現であろうとその自由は守るべしと云うのが「表現の自由」である。一義的には。
この場合、「表現」と「表現の自由」は論理階梯が異なり、下位の「表現」の価値によって上位の「表現の自由」を定義してはならない、と云うのが論理階梯論である。


引用は表現の一部なのだから「引用の自由」は「表現の自由」でもある*1。故に、「表現の自由」の立場からは、どのような引用であろうとそれを制限してはならないのである。例え全文引用であっても「私の主張は正にこれであり、私はこれを全文引用する」と云う表現であり、著作権法の問題を脇に置けば、それすらも制限してはならない。


言及記事では「表現がたかだか自由で」と云うが、「表現の自由」と云った場合の「自由」とはヴォルテール曰く命懸けで守るべきものなのだ。決して「たかだか」などと云う程度のモノではない。

*1:念のため断っておくが、引用と表現は「部分-全体」関係であり論理階梯が異なるわけではない。