ヨシズミ!人生はいいものだ。

何か妙に気になったので言及。因みにタイトルはネタである。


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村の墓地が満員なので村長が「死亡禁止」と云った元記事に対する反応であるが。
多少強引に云えば、キリスト教での「死亡」は「最後の審判まで寝て待つ」ことである。だから、死者に刑罰を与えることも原理的には可能。村長がそれを行い得るか否かは置いて。


例えば「火葬する」のも刑罰足り得るだろう。しかも、埋葬に必要な土地が少なくなって一石二鳥である。
なぜ火葬が刑罰になるかと云うと、キリスト教者は最後の審判の日に復活して裁きを受けるので、燃やされて体がないと困るのだ。「最後の審判」と云うのは観念的なものではなく、本当に生き返って裁きを受けるのである。
何か本邦的な生死感で笑っているようだが、別にそんなに可笑しい話でもない。


処で、生き返ることが前提であるからこそ土葬であり、それ故「ゾンビ」が成立しかつホラーとなる。「ゾンビ」は醜悪な「復活」であり、しかし、「それこそが"本当の復活"なのかもしれない」と云うキング的な恐怖がある。