「トリアージ批判」批判の争点を考える。

詳しく追ってないので詳細は解らず。元々「トリアージ批判」は的を外していると考えているので。


で、トリアージ批判は一般人に理解可能なの?不可能なの? - 吾輩は馬鹿である

id:Sokalianさんの主張を我田引水に読解してみたい。


一連の記事からトリアージが技術的なモノと捉えられていると推察できる。ならば、倫理とトリアージは直交し「倫理的トリアージ」と「非倫理的トリアージ」が存在することになる。


例え「非倫理的トリアージ=ホロコースト」であったとしても、そのことは「トリアージ=ホロコースト」であることを示し得ない。故に「トリアージ=ホロコースト」とした「トリアージ批判」は正しくない。


こんなところだろうか。


トリアージ批判」には人文系からの「技術至上主義」に対する異議申し立てが含まれているように思う。それは理工系が倫理に無頓着であると云う偏見に基づいている。
ただし、一般的に云っても「倫理」は人文系の領域なので、「人文系の知識がない」と表明することはその偏見を助長することになるし、偏見に対抗する為に「一般人vs専門家」の図式を導入するのは余り得策ではないだろう。