生徒による生徒のための生徒の抑圧
これだけ解り易いテクストをぶら下げられるとクマー。
「いじめ問題」を解決させたければ、学校の「調整能力」と生徒の「自治能力」を評価に組み込むしかない。 - 想像力はベッドルームと路上から
まずもって「いじめ」とは何なのか、或いは、どういう行為や状態をもって「いじめ」と見做すのか、が語られていない。ただ漫然と感覚的に、
そう。「いじめが無い学校」こそこの世に存在しないのだ。
と言い放たれている。
更には、どの様にして「いじめを解決する」のかも語られていない。「調整能力」さえあれば「いじめ」の解決など誰にでも至極簡単なものだと云わんばかりに、
文字通り「みんなの問題」として徹底的に責任を負わせること以外に「いじめ」を解決させる方法は無いのではないだろうか。
と結論付けている。
そして、ただ手段として「重層的な抑圧システム」が提案される。
驚くほどの空虚さである。そこには言説などなく、ただ「形式」の提示のみがある。
対象も方法も関係なく、形式と結果を短絡させ直接的に現前させる。
これを一言で云うと、
「魔術」である。
つまり、これ。
http://d.hatena.ne.jp/ululun/20061030/neta061030