世界の中心で何か叫ぶ?

自分の視点は勝手に中心化するものである。放っとけば中心で固まったりするので、日頃から意識的にずらしたりする。しかし、そうすると「屁理屈」とか「天邪鬼」とか「ああ云えば上祐」とか云われたりで。まあ、いいか。


ご多分に漏れず、私のところにも風俗系釣りスパムは沢山来る。

今夜だけは寂しい気持ちで待ちたくありません、電話待ってます。
エッチだけの関係でも。甘えられたら満足だよ、毎日の生活にストレスを感じてるから。。

2階建てになってるdocomoショップの場所わかりますか?最近出来た所なんですけど。私そこの前で待ってます


ワカラン。ワ・カ・ラ・ン。
「2階建てになってるdocomoショップ」は日本中で一体何件あるのだろう。そもそも、この人は私が何処に住んでるかわかっているのか。


と、スパムに突っ込むのは莫迦過ぎるが、以前ちょっとした経緯でメールを遣り取りした人も、似た様なことを云われた。曰く「文章では上手く伝わらなかったりしますので、今度一緒に呑みに行きましょう。」


ああ、それは伝わらないだろうな。
私が何処に住んでいると思っているのだろうか。なぜ、気軽に「呑みに行ける」距離だと思い込むのだろう。それとも、世界中何処にだって呑みに来る覚悟なのか?
経験的に大抵こう云う人は関東圏に住んでいたりする。相手も近くに居ると、「呑みに行ける」距離だと、思い込む。


数年前、JR山手線だったかで大雪のため電車が止まったことがあった。列車内に乗客が取り残されて困ったわけだが、特に事故があったわけではない。無論「大変だなぁ」とは思うのだが、それでも、そういう椿事があっただけである。
だが、それが全国放送のトップニュースで流されたのには少々驚いた。これの何処に全国的価値があるのだろう。地方ニュースはテレビ東京が流せばいい。それ以外は天気予報で足りることだ。
全国の視聴者が何処に住んでいると思っているのであろうか。



閑話休題
私がいかな駄文書きでも、書いた後は一応読み返したりしている。
だが、それで「これじゃ田舎者の僻みだよ。」と自分で駄目を出してしまう。だから別の文章を考えたりもするのだが、「ああ、それじゃあ宗教を相対化してしまう。」などと、今度は書く前から駄目が出る。


その様にして私のエントリはボツに成り、ブログは滅多に更新されることがない。取り合えずは視点を中心に据えなければ書けないのだなあ、と思う今日この頃である。