「ヘタレ」は誰か?

昨日の「ジャポニカロゴス」で知ったのだが、目上の相手が二人いる場合、一つの発言で両方に対する敬語を使うのは矛盾であるらしい。そのような場合、片方への敬語を曖昧にして語るということだ。


http://d.hatena.ne.jp/Mr_Rancelot/20070521/p1
「警察官の人命」 - 地を這う難破船


これら2つの記事の云わんとするところは、多分理解していると思う。また、出来うる限り「射殺」ではなく「逮捕」を選択する方が多くの意味で理想的であろう。それ故、「射殺」という選択を抑えた今回の対応を、当事者の思惑がどうであれ、「ヘタレ」だとは思わない。況してや、現場に対しては云わずもがなである。


2つの記事で示される「揺れ」「乱れ」にも共感はする。が、である。
警察官を危険な現場に送り出すのは、誰でもない「我々」なのだ。送り出す者が「揺れ」「乱れ」てどうするのか。現実に警察官が殉死してなお残そうとする「それ」に、一体どれだけの価値を付けられると云うのか。いや、本当に残そうとしているのは「それ」なのか?


「ヘタレ」は誰か?


今回の事件に対して感情的になっている部分を差し引いても、私には損害が余りにも大きいと感じられる。無論、現場に於けるヒューマンエラーはあろうが、それでも今回のような結果は予想すべきであろう。ならば、腹は括らねばなるまい。

今後生じるであろう社会的事態を、予想できないモノも含めすべて引き受ける覚悟をし、また、彼らが可能な限りそれを選択しない、或いは、選択してもなお理想を忘れないであろうことを信じたい。


「撃っていいよ。」