「匿名の卑怯者」の意味

コメントには余り反応されないようなのでエントリにする。
小倉氏の主張を理解しようとして長々と書いてきたが、1つの仮説ですべての疑問が氷解した。あとは、この仮説を確認して頂くだけだが。


「被害者」は警察が作るのではない。: la_causette


この記事の内容とは余り関係はないが、トラックバックを送るためにリンクする。また、仮説が正しければこの記事を読解する手助けにもなろう。


さて、小倉氏は「匿名の卑怯者」と云う言葉を何度も用いられているが、私はこれを「匿名で不法行為を行う卑怯者」(匿名者の一部)と解していた。しかし、これは「匿名で発言する卑怯者」(匿名者のすべて)ではないのか。


そう考えれば、小倉氏の主張は正真正銘の「実名主義」である。
この筋ではそもそもすべての公開発言は実名で行われるべきであり、発言者の情報開示により損なわれるものは何もないことになる。故に、裁判所命令などは余計な手間であり、どのような請求に対しても速やかに情報が開示されるべきで、そのことに合意できない者は言説を公開してはならない。

これならば、立法論やネットの特性に対する検討には議論の余地は残るが、主張の大筋に矛盾は無いことになる。「小倉氏の主張」と「実名主義」を分別して考えようとしたのが仇になったかもしれない。


ただ、この読解が正しいとしてもやはり私は氏の主張を支持しない。しかし、それが駄目だと云うわけでもない。そうなれば私がネット上で発言しなければいいだけの話である。

従来、言説を公開する方法はほぼ「出版」に限られていた。「出版」は実名或いはそれと同等のトレーサビリティで行われるが、それと同時に経済的な利益も得る。これらによってトレードオフが成立するのだが、ネット上では経済的利益が薄くトレードオフが成り立ち辛い。

言説を公開すること自体に大して欲望を持たず何ら使命感も持たない身としては、リスクを負う必要もまたないのである。