ブクマが2桁以上あってネガコメが全く無かったとしたら、それは誰かの陰謀に違いない。

ネガコメが嫌がられるのは解る。好き嫌いは誰にでもある。因みに私は納豆が嫌いである。
納豆が嫌いであるが故に、ホモセクシャルに対する偏見を克服したと云っても過言ではない。私は男性同士の性行為は嫌いである。だからと云って、ホモセクシャルな人が嫌いなわけではない。私の友人にも納豆を食う人はいる。


2008-04-07


枕は完全に脱線したがネガコメの話。
ネガコメが嫌がられるのは解るし、それが発展してネガコメを無くしたいと云うのも理解する。
しかし、「ネガコメが悪いのだから排除すべきである」と云う論には同意しない。


複数のコメントがあった場合、何割かはネガコメが含まれる。そして、それが自然だと思う。
自然だから受け入れろと云う訳ではないが、現状において「不自然な状態」を求めていると云う自覚だけは持って欲しい。安易に道徳論に陥るのは差別と近しいので頂けない。
また、「ネガコメが無いのが自然な状態」と考えている場合、前提となる事実判断で既に異なっているのだから、それ以上の議論は成立しない。その点はまず押さえるべきだろう。


さて、ネガコメ溢れる現状からネガコメが全く無くなった場合とは如何なる状態だろうか。

  1. すべての人がネガコメを思いつきもしなくなる。
  2. すべての人がネガコメを思いついても書かなくなる。

前者は有り得ないだろう。ならば、後者である。
好意的なコメントが並ぶブクマエントリを見て喜ぶ人が居ないとは云わないが、臍も旋毛もダブルで曲がっている身としては不自然さを感じて萎えてしまうだろう。被害妄想の人なら「お前ら全員"あたまがわるい"と思ってる癖にぃ!!」などと発狂するのではなかろうか。


何割かのネガコメの存在が、好意的なコメントを素直に受け入れさせてくれるのである。