警察非難とナイフ所持非難

ナイフは便利である。色々切れる。便利過ぎて人だって殺せる。
警察も便利である。悪い奴を捕まえる。便利過ぎて余り悪くない人も捕まる。


はてなブックマーク - 秋葉原でまた! 職務質問の警官 刃物男に切られ軽傷 - MSN産経ニュース


警察官の前で疑わしい言動を取れば職質される。職質で疑わしい言動を取れば任意同行を求められる。任意同行は拒否はできるが逃走はできない。逃走すると追いかけられる。何をもって「逃走」とするかは警察次第だが、少なくとも走って逃げれば逃走である。文字通り。


何から何まで警察官の判断になってしまうのは致し方がない。だからこそ、要所要所では明確な証拠が必要となる。今回の件は「秋葉原でナイフを持っている」と云う点がそれに当たるだろう。無論、以前ならそんなことはないが、今の秋葉原は厳戒体制下である。


秋葉原が厳戒体制下であることは好ましくないが、それは警察が決めたというより世間の要請に従ったと考えるべきだろう。件の事件がトップニュースになることなく、「怖いねぇ」程度の話題として受け止められる世間であればこうはならない。良し悪しは別として。


何かある度に警察を非難していると、何かある度に非難されまいと警察は頑張る。警察が何も起きない様に頑張ると通常の生活も困難になる。しかし、警察が余り悪くない人を捕まえない様にすると、件の事件の犯人も事前に捕まえることはできない。捕まえられるのは車で突っ込んだ後である。「なぜ事前に捕まえられなかったのか」と非難すれば厳戒体制になる。当然の帰結


ナイフは持ち歩きたいがナイフによる通り魔事件もおきて欲しくないと云うのは、タバコは吸いたいが肺ガンにはなりたくないと云うのに似ている。前者の主体は世間、後者は個人ではある。しかし、車には乗りたいから交通事故は許容される。


こうして実利性の低いものから順に禁止されていくことになる。タバコの次はナイフと云うだけの話である。そして、車と警察は最後まで残るだろう。