ブクマコメント補足。或いは無題。ってタイトルが思いつかない。
id:cnktさんの企画を挫く意図でコメントした訳ではないが応答として若干補足を。
http://d.hatena.ne.jp/cnkt/20090214/p1
ハラスメントに限ったことではないが、「受け手がそう感じたなら」と云う主観に帰結してしまうことによる問題は2点。
まず、行為者が反省不能となること。
それが被行為者(受け手)の主観に帰結される以上、行為者は何処を探してもその行為がハラスメントである理由を見つけることができない。それは「他人の主観」と云う手の届かない所にしかないのである。
次に、被行為者が判断不能となること。
被行為者がそれをハラスメントだと感じても、「そう感じる私は正しいのか」と云う判断ができない。これは「そんなことをハラスメントだと感じるお前が異常なのだ」と云う声に抗う術がないということである。
よって、それが問題である以上は主観に帰結させるべきではない。問題を主観に帰結してしまうことはそれを解決不能とする。
[追記:2009/2/17]
ブクマで反応頂いた点を再度補足。
契機としての主観性を否定するものではありません。主観に基づいて提示された「後」は主観に差し戻すことなく掬い上げなければいけない。と云う意図*1です。
指摘したいのは「受け手がそう感じたならハラスメント」ではなく「ハラスメントだから受け手がそう感じた」ってことです。
[再追記]
追記の最後の一文は問題ありか。循環モデルを前提としているのだが上手く書けない。要再考。
*1:それによる再・権力化と云う話もありそうだが、その辺は考えていない。
メールチェッカーは電気人鳥の夢を見るか?
全く記事を書いていなかったので非はてな市民となってしまった。市民権復活のためにエントリ。
befoo - IMAP4メールチェッカー プロジェクト日本語トップページ - OSDN
昨年後半から諸事情によりMDAがdovecotになり、これまた諸事情によりIMAP4に移行した。
しかし、個人的なニーズ(=我儘)を満足するメールチェッカーがないのである。「Thunderbird使え」とも云われたが、Wanderlust on Meadowを変える気などさらさらない。
ではと、既存のモノを改造して使おうと思ったが、殆どソースが公開されていない*1。公開されていてもMFC(!!)を使ってやがる(失礼)。gnubiffを移植するのも「それってどうよ?」と云う感じである。
と云うことで、正月休みに自分で作った。Windowsアプリをスクラッチで作るのは随分久しぶりだったので案外楽しかったりもした。そして、適当に付けた名前が妙に気に入ったのとgnubiffから取ってきたペンギンのアイコンが可愛かったのでSourceForge.JPで公開してみた。
対象ユーザが以下の条件であっても、全世界で1桁くらいは存在するだろう。多分。
- 諸事情によりWindowsを使わざるを得ない。
- 諸事情によりThunderbirdが使えない。
- 取り合えずPOP3は要らない。
- GmailはIMAP4でいい。
- Hotmailなんか使ってない。
- SSLと複数メールボックス対応なら他の機能は要らない。
- 件名と送信者の一覧が見られれば十分。
- 必要な機能は自分で追加する。
- つうか要らない機能はウザい。
- SPAMくらいMTAでフィルタ汁。
- 必要ならソースを読むから説明は要らない。
- 必要ならソースを修正するからサポートは要らない。
- OpenSSLとICONVのDLLくらい取ってこれるからインストーラは要らない。
- 日本語か下手な英語が読める。
- ペンギンは嫌いではない。
*1:後でnpopのソースが公開されていることを知った。
「トリアージ批判」批判の争点を考える。
詳しく追ってないので詳細は解らず。元々「トリアージ批判」は的を外していると考えているので。
で、トリアージ批判は一般人に理解可能なの?不可能なの? - 吾輩は馬鹿である
id:Sokalianさんの主張を我田引水に読解してみたい。
一連の記事からトリアージが技術的なモノと捉えられていると推察できる。ならば、倫理とトリアージは直交し「倫理的トリアージ」と「非倫理的トリアージ」が存在することになる。
例え「非倫理的トリアージ=ホロコースト」であったとしても、そのことは「トリアージ=ホロコースト」であることを示し得ない。故に「トリアージ=ホロコースト」とした「トリアージ批判」は正しくない。
こんなところだろうか。
「トリアージ批判」には人文系からの「技術至上主義」に対する異議申し立てが含まれているように思う。それは理工系が倫理に無頓着であると云う偏見に基づいている。
ただし、一般的に云っても「倫理」は人文系の領域なので、「人文系の知識がない」と表明することはその偏見を助長することになるし、偏見に対抗する為に「一般人vs専門家」の図式を導入するのは余り得策ではないだろう。
SF的には別の端で捕鯨(=差別)に繋がったり(ry
猛烈に何か書きたくなったが、書くことが思いつかない自分の文才のなさに嫌気がさす今日この頃。と云うか昔からか。
機械化帝国Googleが破壊する「生身の人間」 - umeten's blog
私的には「人が歩いて見るのと"同じ"だから合法」ってGoogleの主張に ( ゚д゚)ポカーン
キャプテン・フューチャーのサイモン博士最強ってオチだろうか。
藤崎慎吾著「レフト・アローン」の一編「コスモノーティス」なんかどうよ。
問うことにタブーを設けてはならない。
問うことを止めれば知ることはできない。私がすべてを知ってはいない以上、何に対してであれ問うことを止めるわけにはいかない。
学級委員長たちは自分の意見を何としても正当化したいのですね、わかります - ニート☆ポップ教NEO
記事の主張には余り関係ないが。それが「いじめ」かどうかを問うことは止めるべきではない。
まず例え話で申し訳ない。「レイプが犯罪か否か」等の問いも同様。何度同じ結論が出ようとも問い自体は止めるべきではない。しかし、レイプ被害者の前でその問いを口にすることには配慮が必要であろう。
さて、ネット上での議論は公開される故、それを当事者が見ることもある。極端な話、どのような問いであろうと、それを快く思わない人は存在すると仮定すべきだろう。ならば、当事者に配慮し過ぎると議論全般を禁ずることになる。
故に、問いを止めないのであれば、ネット上の公開された議論を見る側にも心構えが必要となる。そこで交わされる言説を自らの身に引き寄せて考えてはいけない。無論、議論を行う側も特定個人に向けた表現を必要以上に行わないよう心掛けるべきではあるが。
警察非難とナイフ所持非難
ナイフは便利である。色々切れる。便利過ぎて人だって殺せる。
警察も便利である。悪い奴を捕まえる。便利過ぎて余り悪くない人も捕まる。
はてなブックマーク - 秋葉原でまた! 職務質問の警官 刃物男に切られ軽傷 - MSN産経ニュース
警察官の前で疑わしい言動を取れば職質される。職質で疑わしい言動を取れば任意同行を求められる。任意同行は拒否はできるが逃走はできない。逃走すると追いかけられる。何をもって「逃走」とするかは警察次第だが、少なくとも走って逃げれば逃走である。文字通り。
何から何まで警察官の判断になってしまうのは致し方がない。だからこそ、要所要所では明確な証拠が必要となる。今回の件は「秋葉原でナイフを持っている」と云う点がそれに当たるだろう。無論、以前ならそんなことはないが、今の秋葉原は厳戒体制下である。
秋葉原が厳戒体制下であることは好ましくないが、それは警察が決めたというより世間の要請に従ったと考えるべきだろう。件の事件がトップニュースになることなく、「怖いねぇ」程度の話題として受け止められる世間であればこうはならない。良し悪しは別として。
何かある度に警察を非難していると、何かある度に非難されまいと警察は頑張る。警察が何も起きない様に頑張ると通常の生活も困難になる。しかし、警察が余り悪くない人を捕まえない様にすると、件の事件の犯人も事前に捕まえることはできない。捕まえられるのは車で突っ込んだ後である。「なぜ事前に捕まえられなかったのか」と非難すれば厳戒体制になる。当然の帰結。
ナイフは持ち歩きたいがナイフによる通り魔事件もおきて欲しくないと云うのは、タバコは吸いたいが肺ガンにはなりたくないと云うのに似ている。前者の主体は世間、後者は個人ではある。しかし、車には乗りたいから交通事故は許容される。
こうして実利性の低いものから順に禁止されていくことになる。タバコの次はナイフと云うだけの話である。そして、車と警察は最後まで残るだろう。